巻頭特集/八代の職人たち

真空管アンプ職人:森 精一さん●ラジオクロネコ

まるでオーケストラの生演奏を聴いているかのよう!なめらかで耳に心地よい本物の音質を再現。

本町アーケードにある電気店『ラジオクロネコ』の二代目社長、森精一さんは、オーディオマニアの間では有名な真空管アンプ作りの名人。先代である父から技術を学んで以来、約60年間に制作した数は500台以上。全国から注文が来ています。

その理由は、何と言っても、森さんにしか出せない音質にあります。オーダーに基づき、まず配線図の作成に2~3日、真空管など部品の配置・組み立てに4~5日、さらに、ここからが森さんの本領発揮。ノイズや周波数など物理的な測定データはもとより、若い時分から八代や熊本をはじめ、ウィーンやプラハなどでオーケストラの生の音に触れてきた豊かな経験、耳の感覚をもとに、およそ20日をかけて微調整を繰り返し、ようやく完成。耐久性をしっかりと確認した上でお客様の元へ届けられます。

「オーケストラの生の音にどれだけ近づけるか、まろやかで温かみのある真空管アンプの音楽性を最大限に引き出せるよう駆使しながら製作しています。」

機械では決してなしえない、職人ならではの感性が、多くの人々を魅了するサウンドを生み出しています。

宮地手漉き和紙職人:矢壁 政幸さん●矢壁家

紙漉きを伝えた矢壁新左衛門の末裔として、伝統の技法を後世に。

独特の風合いと温かみにあふれ、何百年と耐久性に優れる八代市宮地地区の『宮地手漉き和紙』。かつて肥後藩御用紙漉きとして栄え、最盛期には多くの職人が生産していたこの和紙を、現在、唯一手掛けているのが矢壁政幸さんです。遡ること400年前、手漉き和紙の技法を宮地に伝えたとされる矢壁新左衛門の末裔として、伝統の技法を後世に伝え残そうと、使命感をもって製作に励んでいます。

矢壁さんの父の代までは、代々紙漉き専業でしたが、時代の流れとともに需要が激減し、やむなく廃業。矢壁さんは熊本工業大学(現崇城大学)の技師として約30年間勤めた後、手漉き和紙を本格的に復活させました。しかし、それまでも、父の話を元に手漉き和紙の研究を重ね、静かに紙漉きの技術を磨いていました。

「手漉き和紙づくりは、原木を水に浸け、煮て、晒して、ほぐして…と、コツコツと手間のかかる作業です。その上、漉くのは寒い時期が適しています。今も需要は決して多くはありませんが、先祖が伝えた技法を何とか残したいという思いで続けています。」

世界に誇る技法をもたらした開祖の子孫としての誇りが大きな原動力となっています。

刀匠 刃物職人:森髙 琢象さん●森髙鍛治刃物店

700年間の伝統と技が、世界が注目する鋭い切れ味を生む。

鎌倉時代に、初代・刀匠 金剛兵衛源森髙が、大宰府で修験道者の刀を鍛えたことに始まり、700年にわたって刃物を作り続けている『森髙鍛冶刃物店』。鋭い切れ味の包丁は、国内や海外でも高く評価され、現在生産量の4割を57ヵ国以上に出荷するほど。

その優れた製品を、親方職人として手掛けるのが森髙琢象さん。人間国宝級の名人であった父の元で修練を重ね、27歳の若さで刀匠となった現代の名工です。森髙家は五代前の幕末期に「刀を本業とするべからず」と家訓に定められて以降は、包丁を中心に製作しています。手工業を取り巻く厳しい現状の中でも森髙製品が多くの人に求められているのは、刀匠の技あってこそ。「日本の刃物は、日本刀の工法である、鉄と鋼を合わせる“鋼の割り込み鍛接”が特徴。この製造技術は炉の温度管理が難しく、最適な温度になる一瞬を逃さない熟練の技が必要です。今は、この工程を省いた出来合いの複合材もあり、それを使用すれば簡単で製造量も増やせますが、切れ味、品質には満足できません。」

非常に困難な作業ながら、あえて自家鍛接に拘るのは刀匠の意地。古から受け継がれた技と精神が、世界から注目される最高の切れ味、品質を支えています。

作陶家:上野 浩之さん●高田焼 宗家上野釜

繊細で上品、お殿様が愛した焼き物。代々受け継いだ技法を正しく守り、未来に繋ぐ。

象嵌青磁の技法を特徴をする高田焼は、400年以上の歴史を持つ、八代を代表する工芸品。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に、加藤清正に従い渡来した朝鮮陶工の初代・尊楷によって始まり、江戸幕府まで細川家御用窯として優れた器を納めました。

その宗家12代当主として、先代達の技と思いを大切に受け継いでいるのが、『高田焼 上野窯』の上野浩之さん。象嵌は、半乾きの素地に、竹べらや押印で文様を彫り込み、その凹部に白土を埋め込む繊細な技法。かなりの手間を要し、大量生産はできません。それだけに、仕上がりはことのほか上品。中でも12代目の手掛ける器は、象嵌技法の生命線である輪郭のシャープさを最大限に表現しながら、心がほっと和むようなやわらかさを備え、焼き物に造詣の深い人々から高く評価されています。

「時代時代で文様や形などは少しずつ異なるものの、受け継いだ技法を正しく守り、良いものを表現したいという職人の想いは、いつの時代も同じだったのではないでしょうか。」

現在、長男・浩平さんが13代目として修業中。先祖代々の技と心がまたしっかりと繋がっていきます。

竹細工職人:桑原哲次郎さん●桑原竹細工店

一年待ってでも手に入れたい、用と美を兼ね備えた伝統の竹細工品。

日奈久温泉では古くから、湯治土産や日常の道具として竹細工製品が盛んに作られていました。多い時では50軒以上あった店も、今では『桑原竹細工店』ただ一軒のみ。3代目店主の桑原哲次郎さんが、日奈久の伝統工芸を絶やさぬよう、たった一人で様々な竹細工製品を作り続けています。

竹細工作りは竹を採ることから始まり、毎週に1年分を確保。採った竹はお湯で油抜きした後に、日光に晒すなど、材料として整えるまでにはかなりの手間暇を要します。また、籠やざるを編むためには、竹を神のような薄さにまで割り、長さ、幅の揃った竹ひごを何十本も用意しなければなりません。竹細工作りでは、この竹ひご作りが最も重要で、“割り3年、ひごとり3年”と言われるほど、技術の習得の難しさがうかがえます。

しなやかで美しく耐久性に優れた桑原さんの竹細工製品は雑誌等でも度々取り上げられているほか、人気セレクトショップでも多大な人気を誇ります。様々なモノが溢れている時代だからこそ、真価が問われる時代。

「“やっぱ、あたんとが良か”と言ってくださることが一番の励みになります。使って、喜んでもらえるのが、作り手としてはなによりです。」

菓子職人:黒川 健作さん●菓匠 黒川製菓

ふんわり軽く、それでいてもっちり弾力のある生地と、風味豊かな北海道産大納言小豆の餡が織りなす、小ぶりで上品な銅鑼焼が大評判の『黒川製菓』。1日2,000個にも及ぶ数を、現5代目店主の黒川健作さんが一枚一枚、手作業でリズミカルに焼き上げています。

創業は江戸末期。代々、時代のニーズに応じた様々な菓子を手掛け、黒川さんが尊敬する父、4代目の秋博さんが、現在の銅鑼焼を看板商品に育て上げました。

銅鑼焼作りで最も気を遣うのは生地の配合と焼き加減。その日の気温や温度によって微調整を必要とし、仕上がりに納得がいかなければ店には出さない徹底ぶり。そのこだわりは父以上とも。

「品質は常に同じでなければなりません。初めて食べる人が、たまたま出来の良くないものを口にすれば、がっかりさせていまいますから。」いつ、誰が食べても最高の美味しさとなるよう、ゆるぎない職人魂でひとつひとつ手を抜くことなく、丁寧に作り上げています。

「まだまだ銅鑼焼の“ど”がようやくわかりかけてきたくらい。父がそうであったように、一生現場に立ち、次の代がまた跡を継ぎたくなるような良い仕事をしたいですね。」妥協を許さない仕事ぶりは、生涯現役で続きます。

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