あの人に会いたい。File.18

地域に育ててもらい120
再校の瞬間を思い出に残すお手伝い

 1905年(明治38年)に曾祖父がロシアで写真場を創業。 13年後に八代に店を移し、地域の方々の結婚や、七五三や成人式などのライフイベント写真を中心に〝まちの写真屋さん〞として親しまれてきた『野尻写真場』。雄介さんはその4代目として、シャッターを切り続けています。「父の背中を見て育ち、家業を継ぐことだけを目標 に歩んできました」。初めて父のカメラで撮影したのは中学生の時。「確か最初に撮ったのは八代の夕日でした」と語ります。
 大学時代は、長崎にある親戚の月光スタジオでアルバイト。少しずつ写真の技術を学んではいましたが、当時は写真がフィルムから

デジタルに移行する過渡期。将来を見据え、大学卒業後はカメラの先端技術を学ぶためにアメリカの写真大学に留学。「講義でノウハウを学ぶことはもちろんですが、モデル探しからスタジオの手配、機材繰りなども一人で行い、課題の写真を撮る。コミュ ニケーションの取り方なども、とにかく実践から学ぶ毎日でした」。しかし3年間のカリキュラムの残り4カ月のところで、父が急逝。八代に帰り曾祖父の代から続いて きた写真場を受け継ぎ、新たな人生がスタートしました。「とにかくここは、地元 の方々に育てていただいた写真場です。父が積み上げてきた雰囲気や世界観を大切にと思いながら撮り続けています」。

世界最高峰の写真コンテストに出場
日本人初のトップ10入りの快挙!

 お客様の要望をカタチにするスタジオでの撮影とは別に、自分の心のままに想いをカタチにする作品づくり。雄介さんが本格的に作品を撮り始めたのは熊本地震を経験してからでした。「お祝い事が自粛される中で時間ができた。それならば自分の技術がどこまで世界に通用するか試してみたい」と、写真界のオリンピックといわれている W P C(ワールドフォトグラフィックカップ)』に挑戦。八代港をモチーフとした作品が、日本代表に選ばれました。
 作品づくりは今も続いており2025年 3月に開催された同大会では、人吉球磨地方に伝わる「兵法タイ捨流」の師範を主体とした作品でエントリー。世界9位、日本人初となる部門トップ10入りを果たしました。「日本の文化、そして地元八代を世界に知ってもらえる契機と捉え、作品を通して地域に貢献していきたい」と雄介さん。世界の舞台へのチャレンジはこれからも続きます。

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●野㞍  雄介さん(41歳)

1983年、八代市生まれ。八代高校、長崎大学を経てアメリカの写真大学に留学。2009年父の急逝により帰国し、『野尻写真場』の4代目として活躍。2017年、『WPC(ワールドフォトグラフィックカップ)』に日本代表として初出場。20253月、同大会で日本人初のTOP10入りを果たす。