ぽん太のアメリカ便り Vol.84

やつしろぷれす 主夫ぽん太のアメリカ便り

「ニューポート・ジャズフェスティバル」

 いやですね、今年の1月号に「この夏、大分でバレーボールのインターハイを見てから八代に帰りまーす」みたいなこと書いたんですけど作戦変更です。八代には帰るんですけど、インターハイは見れなくなりました。ちょうどインターハイやってるときにうちの19歳が『ニューポート・ジャズフェスティバル』というのに出ることになったんですね。同フェスティバルは2022年に家族で観に行ってるし(写真)、気持ち的には大分のインターハイに行きたかったんですけど、一応アメリカでも有名なジャズフェスティバルで、なかなか出演できないんですね。だからかみさんに「絶対家族で行くぞ!」って言われて、まあいいかと。うちの14歳はインターハイ見たかったんですけどねー。

 そのニューポート・ジャズフェスティバルなんですけど、先に書いたように出るのがなかなか難しいらしいんで、「これまでどんな日本人が出てるんだろ」と思って、ちょっと「ニューポート・ジャズフェスティバル」「日本人」でググってみたんですね。そしたら「弘田三枝子」という名前がたくさん出てきたんです。皆さん、2020年に亡くなった歌手の弘田三枝子さんって覚えてます? ググって出てきたのはその弘田さんなんですけど、私その名前見てビックリして。いやね、実は弘田さん、私の遠い親戚なんですね。ウィキペディアによると弘田さんの本名は「竹永三枝子」。私の親戚と結婚して竹永姓になったんですけど、確かそのあと離婚したはずなんですが、竹永姓はキープしてたみたいですね。

 弘田さんがニューポート・ジャズフェスティバルに出たのは1965年。彼女が18歳のときでした。同ジャズフェスティバルに日本人ボーカリストとして初めて出演したのが弘田さんだったんですね。18歳ですよ。すげっ。その約60年後に彼女のとおーーーい親戚の19歳が同フェスティバルに出ると。なんか運命みたいなものを感じますよねー。でも大分のインターハイも行きたかったなー(まだ言ってる)。

▲2022年に家族で行ったニューポート・ジャズフェスティバル


筆者:竹永浩之

八代市出身。八代小→一中→南校(現:清流高校)→沖縄の大学へ
(小中高時代のあだ名は“ポンタ”)。

沖縄で海の仕事に従事→アジア放浪→渡米。
メディアで働いたあと主夫に。

アメリカ人のかみさんと息子2人の4人家族。

米国・ニュージャージー州在住。

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