ぽん太のアメリカ便り Vol.114

やつしろぷれす 主夫ぽん太のアメリカ便り

「煙突の思い出」

 実は私、今回の地震の2日前まで八代にいたんですね。2日間だけ。八代から出る日は新幹線で福岡に行ったんですが、新幹線のホームから最後に見た風景が日本製紙のあの「煙突」でした。そうです。9人もの人の命を奪ったあの「煙突」です。そして、少なくとも私にとっては八代のひとつのシンボルとしてずーっと思い出の中にあった「煙突」なんですね。人の命を奪ったことですんごい語りづらい「煙突」になっちゃいましたけど。

 地震の翌日、私はある国会議員のYouTube番組に在外ネット投票の件で出たんですけど、その時に今回の熊本地震の被害について聞かれて「煙突」のことを話したんです。あの「煙突」はただの製紙工場の煙突じゃないって。ずっと八代という町のシンボルだった煙突だって。八代駅がまだ八代の玄関口だった頃、ホームに降り立ってまず見上げたのがあの「煙突」だったんですよね。八代を出て、たまに帰る時、そしてまた八代を離れる時、無意識のうちに探してたのもあの「煙突」でした。友達が初めて車で八代に行く時にも「高い煙突が何本か見えてきたら八代だよ」って教えたりしてましたよね。

 地震のあと、あの「煙突」が燃えちゃったじゃないですか。折れたのもショックでしたけど、燃えたのも無茶苦茶ショックでした。なんかホントにあの思い出の「煙突」がなくなっちゃったんだって感じで。ドン底に突き落とされたみたいな気持ちになりました。まだ立ってたときは、あの「煙突」のことをあーだこーだ考えることなんてほとんどなかったんですけど、私の記憶の中には何気ない八代の風景の一部としてずーっと、そしてしっかりあったんですよね。

 いま書いてて思い出したんですけど、たしか小学生の時に工場見学にも行きましたよね。今回折れた「煙突」のうちの2本はたぶんその時に見た「煙突」だと思います。それが数十年後、地震で折れて、人の命を奪って、そして燃えて…。そう考えるだけでツラくなっちゃいますけど、それでも自分の記憶の中では、いつもすっと立ってて、私に「おかえり」とか「またね」とか言ってくれたあの「煙突」であり続けてほしいと思ってます。

筆者:竹永浩之

八代市出身。八代小→一中→南校(現:清流高校)→沖縄の大学へ
(小中高時代のあだ名は“ポンタ”)。

沖縄で海の仕事に従事→アジア放浪→渡米。
メディアで働いたあと主夫に。
アメリカ人のかみさんと息子2人の4人家族。
米国・ニュージャージー州在住。